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2012年 05月 08日
グリーグ 歌曲集「山の娘」とK. フラグスタート(S)
![]() ワーグナーのやや古い録音を聞くようになると誰もが一度はノルウェー生まれのソプラノ、キルステン・フラグスタート(1895-1962)につかまるのではないだろうか。その前にもワーグナーを歌って伝説的な名歌手はいるが、彼女は50年代のLP、ステレオ時代まで生きてくれていくつかの歴史に残る名録音を残してくれた。「神のごときフラグスタート」とまで讃えられた歌唱は伝説、伝聞に留まらず今も多くの人の記憶に確かに存在している。ご存知の方には今更だが、その名録音とはフルトヴェングラー指揮の「トリスタンとイゾルデ」「ブリュンヒルデの自己犠牲」、クナッパーツブッシュ指揮の「ワルキューレ」第一幕などである。放送用録音で音は落ちるが、スカラ座でフルトヴェングラーが振った「ニーベルングの指環」全曲もある。 歌手においては体が楽器であり、当然ながら同じ声というのはない。しかし、彼女の声は他の人と全く違っていて一声で惹きつけるものを持っている。わかりやすいところでエピソードを一つ紹介しよう。彼女がニューヨークのメトロポリタン・オペラで初練習をした時のことである。「ワルキューレ」第二幕でのブリュンヒルデ登場の第一声「ホヨトホー」は音域が高く、しかもコロラトゥーラとは全く違った強靭さが求められる難所である。彼女のこれを聞いた指揮者がその素晴しさに指揮棒を手から落としたそうだ。 前置きが長くなったが、今回取り上げるのはフラグスタートと同じくノルウェー生まれのグリーグ(1834-1907)の歌曲集「山の娘」である。私がワーグナーにはまり始めて上記のフラグスタートの録音を聞いていた頃、東京の輸入盤店でそのLPを見つけた。「フラグスタートの歌うものなら何でも聞いてみたい」と思ったのだろうか、全く知らない曲だったがそれを買って聞いた。 その時には北欧らしい冷たい空気、純粋な雰囲気、非常に繊細な表情を感じ、結構聞いたが、何せLPであるのでCD時代になってからはほとんど聞かなかった。しかし、豪の EloquenceがフラグスタートのDecca録音を少し前にまとめてCDで発売してくれたので、本当に久し振りに聞いてみたのである。 一曲目の「誘い」だが、歌詞はあまりに詩的で私にはわかりにくい。しかし、山、娘、夜、愛などの全編のキーワードが表れる。フラグスタートはこの世のものでないような神秘感、または不気味さを持って歌い始め、別世界に運んでくれる。しかし各節の後半では一転して憧れに満ちた優しい雰囲気に変わる。その対比が見事である。 第二曲「かわいい娘」では若くて魅力的な主人公の娘が紹介される。フラグスタートの歌は落ち着いていながらも情熱を秘めた性格を想像させる。 第三曲「ブルーベリーの斜面」では娘は山の斜面に牛の群れを連れてきてブルーベリーを食べさせる。そこに熊、狐、狼が現れたら、という童謡的な歌詞である。そして最後の節ではそこに若い男が来たら、という内容となる。娘の純真な心を感じさせる内容だが、フラグスタートは本当に心晴れやかに楽しそうに歌い、60歳くらいであったはずなのに年齢を全く感じさせない。至芸だと思う。 第四曲の「出会い」では若者が現れることへの期待の後に娘は若者の幻影を見る(詩は曖昧だが、この後は娘の想像の世界と私は解釈する)。二人は口づけを交わし抱擁する。落ち着いたバラード調の歌だが各節の後半では感情の高まりがあり、フラグスタートは見事に表現する。 第五曲の「愛」では完全に若者に夢中になっている娘の心情を歌う。曲調は概して穏やかだが、ところどころでじっとしていられない娘の感情を表す。 第六曲の「子山羊のダンス」は最後から三曲目だが、子山羊のダンスになぞらえて娘のうれしい気持ちを歌う。最初から三曲目の「ブルーベリーの斜面」と同様の明るい曲調で、全曲の構成を対象形としているのだろう。これら二曲がこの曲集の感情の幅に大きな広がりを与えている。 第七曲「悲しい日」では約束した日曜日に若者は現れず、娘は彼を失ったことを悲しむ。 最後、第八曲の「小川で」では娘は小川のほとりに行き、そのやさしい流れに安らぎを見出す。悲しみを湛えながらも音楽は優しく娘を包み込むかのように流れる。グリーグの歌曲においてはピアノ伴奏もまた美しいのだが、巧みに転調があって雰囲気が変わり、娘の感情の変化を伝えてくれる。またこのような物語では主人公が自殺することがあるが、音楽、フラグスタートの歌はそうでないことを語っていると思う。 以上のようにフラグスタートが歌う「山の娘」は素晴しい。しかし一つの演奏だけを聞いて音楽を判断するのもどうかと思って探したら、アンネ=ゾフィー・フォン・オッターによるCDが出ていたので、聞いてみた。英グラモフォン誌からグランプリを受けた名盤である。ところでオッターの名前を見て私はドイツ人と思い、ドイツ語訳による歌を期待していた。しかしオッターもまた実は北欧のスウェーデン出身で、原語で歌っていた。となると条件は同じなのだが、まず声の力、安定度がフラグスタートと比較にならない。そして冒頭の「誘い」でわかってしまうが、フラグスタートは第一声で別世界に運んでくれ、さらに各節の後半では全く違う憧れに満ちた表情を聞かせる。オッターが歌詞に沿って一語、一語で歌い方の表情を変えているとすれば、フラグスタートは表現すべき内容に沿って発声、声そのものの調子を変えているのだ。ずばり言ってしまえばオッターの歌は私には小賢しくしか聞こえなかった。 フラグスタートのCDに戻るが、「山の娘」の次には有名な「君を愛す」がオリジナルのノルウェー語で歌われている。最初はわからなかったが、 ”Ich liebe dich in Zeit und Ewigkeit! (あなたを永遠に愛します)”のメロディーでそれとわかった。できれば多少は聞き慣れたドイツ語で歌ってほしかったのだが・・・ ところでこの歌曲集の日本語の題はLP添付の解説では「山のよう精」となっていた。英訳の題は”The mountain maid”であって、Maidにはよう精という訳語がない。そこで「山の娘」の方が適切ではないかと思いインターネットで調べてみた。すると「山の乙女」、さらに「山の娘」というのがあった。安心してここでは「山の娘」と表記しておく。また、各曲のタイトルもLP添付の対訳ではなくオッターのCDの英訳歌詞から日本語訳したものがある。 (実行委員 M. K.) つくばコンサートHP http://www.tins.ne.jp/~tsukuba-concert/ ※つくばコンサート実行委員会は、本ブログページの広告とは無関係であり、内容について責任を持ちません。 2012年 04月 21日
シュパーゲルと「パルジファル」など
昨年4月にワーグナーの「パルジファル」について書いたが、この時期のドイツについてもう少し書いておきたい。 ドイツに何度か行ってドイツが好きになりかけていた頃だと思うが、図書館で「ドイツおいしい物語」(大島慎子著)という本を見つけて借りた。それの冒頭の章には「ドイツ人は白アスパラガスを『シュパーゲル、Spargel』と呼んで非常に珍重する」とあった。著者がルフトハンザ航空の客室乗務員であった頃、シュパーゲルが機内食で出ると「それは素晴しいね」と同僚、乗客が色めき立ったそうだ。そのシュパーゲルがドイツの市場に出る時期は4月後半から6月前半と限られていて、日本の初ガツオのように季節感を表す非常に重要な食材とされているという。 解説しておくと、アスパラガスは地中で育っている時は真っ白だが、頭が地表に出て日光に当たったとたんに葉緑素によって全体が緑になってしまうのだそうだ。だから成長したシュパーゲル、白いアスパラガスを採るにはよく観察してタイミングを計る必要があり、貴重な食材なのだ。そして鮮度が命で時間が経つと味、歯ごたえが落ちるそうで、それゆえかドイツでは旬の時期にしか食べないらしい。ドイツにはシュパーゲルを食べるために専用の皮剥き器があるそうだ。それで皮を剥いてゆでたシュパーゲルにバターソースとかのソースをかけたシンプルな料理法で食べる。川口マーン惠美さんは「絶品だがなぜ美味しいのかが説明できない。新鮮な野菜のおいしさとしか言いようがない」とおっしゃる。 そんな話を読んだ後で次にドイツに行ったのは98年の4月初めで、仕事でデュッセルドルフでの展示会に行った。その頃私は「ドイツならもう自由に歩ける」という気になっていた。そしてやや時期が早かったが、一人で街を歩いてシュパーゲルがメニューにあるレストランを見つけてシュパーゲル料理を注文した。実を言うと日本で白いアスパラガスらしきものを食べ「ふにゃふにゃでうまくない」と思った記憶が微かにあった(瓶詰めだったのか?)。しかし「うまいもの、貴重なもの」という事前インプットがあって現金にも味覚が変わったのか、または川口さんがおっしゃるように鮮度がいいシュパーゲルは味、歯ごたえがよくて全然違ったのか、本当においしくて何度かシュパーゲル料理を食した。また、デュッセルドルフにはアルトビーアという黒ビール系のおいしいビールがあって、これまた十分に楽しませてもらった。さらに日本企業の出店が非常に多く、ラーメン屋を含め日本料理屋が非常に多いことで知られる。しかしシュパーゲルの衝撃か、日本料理屋に行った記憶はほとんど残っていない。 これで生まれたシュパーゲル、アスパラガスへの信頼は大したもので、日本では入手容易な緑のアスパラガスも非常においしいと思えるようになった。そしてさっき「ふにゃふにゃでうまくない」と書いた中国からの瓶詰め輸入品の白アスパラガスも偶には食べたくなるから不思議である。 さて「パルジファル」に戻るが、当時私は輸出関連の仕事をしていて海外に行く機会が増え始めていた。そして「チャンスあらば出張のついでに?オペラを見よう」と考えて、Opera Nowというイギリス発行の雑誌を定期購読して海外のオペラハウスの公演情報を入手していた(インターネットで情報が手に入る時代ではなかった)。そして4月上旬は復活祭明けだけにワーグナーの「パルジファル」がライン・ドイツ・オペラ(デュッセルドルフ、デュイスブルグの二つの都市を本拠地とする)がデュッセルドルフ歌劇場で上演されるという情報を得た。私はせっかくのチャンスを現地に行ってからのSold out(ドイツ語なら Verkauft aus か)で逃したくなかった。だから「私はワーグナーのファンである。94年のライン・ドイツ・オペラの来日公演の『ローエングリン』を見て素晴しかった。海外で好きなワーグナーのオペラを見られるチャンスは多くはなく、是非この機会に貴歌劇場で『パルジファル』を見たい。」のようなことを下手な英語で書き連ねてチケットを事前にFAXでお願いしたのである。そして「うまくチケットが手に入るだろうか」と不安に思いながら現地に着いて、歌劇場のチケット売り場に向かった。そしてチケットを購入しようとしたら何と劇場の招待として無料でチケットをいただいたのである。後で考えると以前このオペラハウスの音楽総監督を勤められた若杉弘さんの人徳の賜物であったろうと思う。 その「パルジファル」でグルネマンツを当たり役の一つとするクルト・モルを多分この時初めて生で聞いた。その後、モルのグルネマンツは内外で幸運にも2回聞いているが、いずれもグルネマンツの実直そうな性格を感じさせ安定感のある歌い方で素晴しかった。それ以外の配役などは忘れたが十分な出来で、「パルジファル」をより好きにさせてくれた。 その他にベルリン国立歌劇場、ドレスデン国立歌劇場でも素晴しい「パルジファル」の公演を聞いたことは前に書いたが、2000年4月のドレスデン行きは大変だった。98年と同様に展示会があって出張しデュッセルドルフが起点だったが、その週の途中にイギリス、イタリアでも仕事があった。そしてその週の前後の日曜日にR.シュトラウスの「影のない女」、「パルジファル」の公演が数百km離れたドレスデンであったのだ。ドレスデンの歌劇場は行こうとして計画を立てながら急用で行けなかった悔しいところであり、それら二つは私にはよだれが出る演目だった。だから何とか仕事の合間をぬって行き来できないかと移動方法を考えた。結局、日曜日早朝に電車でデュッセルドルフを出て昼過ぎにドレスデンに着き(記憶がはっきりしないが、7-8時間かかっただろうか)、オペラを聞いて一泊し、月曜日朝一番の飛行機でデュッセルドルフに戻るというかなり無理な計画が最適とわかった。そしてそれを2回実行して「影のない女」「パルジファル」を聞いてしまった。前に「パルジファル」の文で『強行軍』と書いたのはこのことである。この時のシノーポリ指揮の「影のない女」がつまらなく、ビシュコフ指揮の「パルジファル」が素晴しかったことは前に書いた通りである。 ところで電車でドレスデン中央駅を降りて歌劇場に向かうには駅正面のプラハ通りを真っ直ぐ2km弱行けばいい。「古都ドレスデン」というイメージがあったので、私はその通りには中世そのままの景色を期待していた。ところが初めて実際に歩いてみると、近代的なホテル、ショップなどが並んでいて正直がっかりした。だが、中心部は違った。名建築家ゼンパーが設計した華麗なドレスデン国立歌劇場(第二次大戦のドレスデン空襲で破壊され85年に再建)、ツヴィンガー宮殿、レジデンツ城などドレスデンの見所が集まっていた。そしてそこから少し離れた所には瓦礫の山があった。「何だ、旧東ドイツは金がなかったのでこんなものが残っているのか」とその時は思った。後で知ったのだがドレスデンの重要な史跡であるフラウエン教会も空襲で全壊した。そこから掘り出した破片をコンピューターを使って可能な限り元の位置に組み込む作業は「世界最大のジグソーパズル」と呼ばれ再建の途上で、私が見たのは言わばパズルの素材の山だったのだ。そのフラウエン教会は2005年に再建が完了している。あの時には時間が取れずほとんど観光できなかったのだが、次はツヴィンガー宮殿とレジデンツ城、そしてフラウエン教会は見たいと思う。もっともドレスデン国立歌劇場に入ったということは、それだけでも観光ではあるが。 2000年4月の時には二度のドイツ横断往復をどうやってやり抜くかに集中していたのか、シュパーゲルを食べた記憶は定かでない。そしてその後はシュパーゲルが食べられる季節にドイツに行ったことはない。しかし考えてみればゴールデンウィークという休みが旅行には最適、かつシュパーゲルも旬の一番いい時期にある。次は是非そのタイミングにドイツに出かけたいと思っている。また、この復活祭後の時期は一年で「パルジファル」が一番多く上演される季節である。しかし、「パルジファル」はワーグナー好きの妻が嫌うオペラでもある。この時期にドイツに行って「パルジファル」を聞かずに帰るというのは私には非常につらいことで、やはり悩みはあるものである(贅沢か!)。 (実行委員 M. K.) 補足) 「ドイツおいしい物語」(大島慎子著)は再度図書館に行って端末で検索もしたが、見つからなかった。借りる人が少なくて無くなったようである。しかし、インターネット販売で古本を見つけてボケた記憶を確認、再度楽しませていただいた。私は年とともにデジタルの世界について行きにくくなっているが、こういう時はデジタル社会もありがたいものだと思う。 また、図書館にあった「ドイツ料理万歳!」(川口マーン惠美著)も参考にさせていただいた。 ![]() 追伸) この文章をHPに掲示した後でオランダに出張した。ドイツの隣国なのでレストランで一応シュパーゲルがあるかと聞いたらあったので、久し振りに食べた。写真(付け合せはスモークサーモンとポテト)ではわかりにくいかもしれないがやはり太く(直径で1.5cmから2cmくらいだっただろうか)、そして何より味がよかった。私なりに書くと「芯からあふれ出てくる野菜の甘さ」だろうか。野菜でありながらメインディッシュになれる存在感を肉食派である私も感じた。そしてシュパーゲルを初めて食べる人もおいしいと言ってくれた。これでシュパーゲルの信奉者が増えそうである。 つくばコンサートHP http://www.tins.ne.jp/~tsukuba-concert/ ※つくばコンサート実行委員会は、本ブログページの広告とは無関係であり、内容について責任を持ちません。 2011年 11月 25日
クリスタ・ルートヴィヒ(Ms)のこと(その2)
![]() このコラムでは最後にワーグナーの「ニーベルングの指環」について数回書いて一連の文章に区切りを付けるつもりだった。しかしその時間が取れないので、今まで何回か触れてきた1928年、ドイツはベルリン生まれのメゾ・ソプラノ、クリスタ・ルートヴィヒについて再度書いて締めとしたい。 彼女の声には典型的なドラマティック・ソプラノのような強靭さはないが、非常に豊かで湿り気を帯びたような暖かさがある。歌い方も感情を叩きつけることはせず、包み込むような感じである。それが物足りない人もいるようだが、これは彼女の穏やかな性格がにじみ出た個性だと思う。 ステージでの活躍ぶりは調べるのが難しいので、ルートヴィヒの録音上のキャリアを見ることにする。なお、歌曲についてはマーラー、ヴォルフについて書いているので割愛する。 ステレオ技術の黎明期である55年くらいからあるので、幸運にも正規録音はほとんどがステレオである。ベーム指揮でDeccaに録音した「コジ・ファン・トゥッテ」(ドラベッラ)「魔笛」(侍女)、Philipsに録音した「フィガロの結婚」(ケルビーノ、モノラル録音)、カラヤン指揮でEMIに録音した「バラの騎士」(オクタヴィアン)などが最初期のものだ。これら二人の指揮者との録音が非常に多いが、徐々にクレンペラーとの録音も増えてきて、「マタイ受難曲」「フィデリオ」(外題役)「大地の歌」などがある。決定版とされた名盤がベーム指揮でシュヴァルツコップと共演した「コジ・ファン・トゥッテ」の62年再録音である。ルートヴィヒのドラベッラは当たり役とされ69年に映像付でも収録された。雑誌でその存在は知っていたが、数年前にDVDがようやく発売された。私は「コジ」は苦手であるが購入した。 そして全曲ではなく部分の場合もあるが、ソプラノ、さらにはドラマティック・ソプラノの領域にも手を伸ばすようになった。「イゾルデの愛の死」「ブリュンヒルデの自己犠牲」「エレクトラ」(外題役)「影の無い女」(バラクの妻)などである。「カルメン(ドイツ語版)」「フィデリオ」の外題役まで歌い、「バラの騎士」では最初のころはオクタヴィアンだったのが、元帥夫人に転じていく。バーンスタインはルートヴィヒをマーラーで重用したが、最初に元帥夫人を歌ったのは彼の指揮の時だったようだ。彼もルートヴィヒに惚れ込んだ一人だろう。ワーグナーではメゾが歌える役はほぼすべて歌ったが、ワーグナーについて書き進めると切りがないので後で一つだけ書くことにする。またドイツ・リート、多くの宗教音楽の録音に参加した。 ドイツ語ものだけでなく「ノルマ」(アダルジーザ)「マクベス」(マクベス夫人)「仮面舞踏会」(ウルリカ)、「蝶々夫人」(スズキ)などイタリアもの、「サムソンとデリラ」(デリラ)「ペレアスとメリザンド」(ジュヌヴィエーヴ)などフランスものもある。 ルートヴィヒは評価が高まるうちに歌えるあらゆる役を歌い、非常に多くの録音に参加した。私はレコード雑誌などを見てどんな録音が出ているかが自然に頭に入り、さらに最近はインタ-ネット販売で検索ができるので、極力買おうとしている。しかし大人買いにも限界があって、「この曲は聞かないな」と諦めるものもかなりある。 さて、今回の主要話題のCDである。実は「エレクトラ」「影の無い女」を書いた後にこのCDを聞いたので、ルートヴィヒで一連の文章を締めようという考えが浮かんだ。 R.シュトラウスは女声に重きを置いて作曲するが、男声についてはテノールよりバリトンを好むようである。だから「エレクトラ」「影の無い女」にはドラマティック・ソプラノとバリトンの名場面があり、独オイロディスク(今は消滅?)はルートヴィヒと当時の夫君、ワルター・ベリーによってそれらを録音した。 「エレクトラ」では力任せの部分ではなく、エレクトラと弟オレストの緊迫したやり取り、そしてオレストが生きているとわかったエレクトラの喜びの歌のところが選ばれている。しなやかさは格別であり、バックは以下ホルライザー指揮ベルリン・ドイツ・オペラ管である。 「影の無い女」では二人は染物師バラクとその妻役だが、2幕までで物語が大きく展開し、破綻しかけていた夫婦が反省しお互いを求め合うようになる3幕の重要な場面を歌う。その歌は情感が溢れて引き込まれる。ルートヴィヒが全曲を歌ったいい条件の録音は発売されていないが、このCDは音も十分によくその渇を癒してくれる貴重なものだ。 また、ルートヴィヒはベルリン・ドイツ・オペラとともに1963年に初来日して「フィデリオ」の外題役を歌い、リサイタルも開いた。そこで「神々の黄昏」からフィナーレの「ブリュンヒルデの自己犠牲」を歌ったそうだ。何かで読んだがあまりに素晴しくて終わって拍手が鳴り止まず、アンコールで20分くらいある「自己犠牲」を何ともう一度歌ったそうである。部分ではあったが、日本初演だったのではないだろうか。このCDは翌64年に録音されたもので、伝説的とも言えそうな「ブリュンヒルデの自己犠牲」の名演を再体験することができる。 これを聞いていると思い出すのが1987年のベルリン・ドイツ・オペラによる「ニーベルングの指環」日本初演である。横浜で1チクルス、東京で2チクルスの上演があり、都合で私は最後のホルライザー指揮の公演を聞いた。この回だけはブリュンヒルデがリゲンツァではなく、忘れもしないウーテ・ヴィンツィングだった。彼女は87年録音のサヴァリッシュ指揮の「影の無い女」でバラクの妻を歌っていて、あの素晴らしい録音の最大の穴だった! その彼女のブリュンヒルデの出来はご想像願いたい。だからリゲンツァを聞いた友人が最高だったと言うのを聞かされて悔しい思いをしたものである。つまり私はヴィンツィングでの悔しさを指揮者、オーケストラが共通しているルートヴィヒのCDを聞いて仇をとっているとも言える。 今述べた3曲はドラマティック・ソプラノの持ち役であるが、それとは少し違った女性的な情感のある歌を聞きたい方は是非ルートヴィヒ盤を捜して聞いてみてほしい。実は私は例外的にこれらの録音はLP、CDで異なったバージョンが出るとすべてを買ってしまった。 「ルートヴィヒにファン・レターを送りたい」と前に書いたが、最後にご報告したい。ドイツ語の先生であるOさんが実行委員であった時に、私が書いたルートヴィヒへの英語のファン・レターをドイツ語に翻訳してくださった(最初は英語で送るつもりだった)。ルートヴィヒはもう80歳を越えられていて今更外国語の手紙を読むのは大変なはずで、Oさんのおかげで数年来の宿題を去年ようやく片付けることができた。この場を借りて再度お礼を申し上げたい。 またルートヴィヒの住所が中々わからず、出す時には苦労した。結局彼女の録音を数多く発売したレコード会社、そして自伝を出版した会社に送って転送をお願いした。返事は来ていないが、届いたものと信じている。 ところでそれで知った自伝はインターネット販売で英語版を入手した。パラパラとめくると彼女の人生だけでなくオペラの役柄に対する考えもあったりして非常に面白い。私にはすらすらと理解できる語学力はなく、これを読むのもリタイア後の楽しみである。さらに「これを翻訳して出版できれば老化防止ともっと大きな楽しみになるかもしれないな」と夢のようなことを考えたりしている。 (実行委員 M. K.) 補足1) シューベルト「冬の旅」に関連して 90年のルートヴィヒの来日公演では東京の「マーラー歌曲の夕べ」と「冬の旅」のチケットを購入した(私はシューベルトを聞かないわけではない)。マーラーは問題なく聞けたが、「冬の旅」は仕事の都合で行けなくなってしまった。幸いにも水戸でも演奏会があるとわかり、私は2回彼女の歌を聞いた。しかし、「冬の旅」を逃した悔しさやら色々なことがあって私は上司に職場の変更をお願いし、変わった仕事は海外に関るものだった。やがて自分でまた海外に行きたくなり、2度目の旅行ではロンドンに行った。しかし聞けたのはイタリア・オペラとモーツァルトの「コジ」だった。この経験で「ドイツ・オペラを聞くにはドイツに行くしかない」と思うようになった。そこに飛び込んできたのがルートヴィヒの「エレクトラ」での引退公演情報だったのである。だから私は人生の節目でクラシック音楽、さらにはルートヴィヒに導かれたような気がしている。 補足2) マーラー 「少年の魔法の角笛」 この文を書いている時に予約していたルートヴィヒ、ベリー、バーンスタインによるマーラー「少年の魔法の角笛」の2枚組CDが届いた。1枚はオーケストラ伴奏、もう1枚はピアノ伴奏で、ジャケットは発売初版を模している。前者はLP時代に探してドイツ盤を購入したが、後者はLPでは廃盤のままで入手できなかった。CDで最初に発売されたバーンスタインのマーラー全集に含まれていて喜んで購入したものだ。今回しばらく振りに聞いてみるとその素晴しいこと! 特にバーンスタインの自在なテンポがよく、シュヴァルツコップ、F=ディースカウ、セルによる演奏が刷り込まれている頭にも染み込んできた。ピアノ版が録音された面白い経緯は書かないが、67-69年の二人の声の絶頂期にこれらの録音が残されたことは本当に幸いであった。 つくばコンサートHP http://www.tins.ne.jp/~tsukuba-concert/ ※つくばコンサート実行委員会は、本ブログページの広告とは無関係であり、内容について責任を持ちません。 2011年 11月 24日
マーラー 交響曲「大地の歌」とクリスタ・ルートヴィヒ(Ms)
![]() 先に「私の好きなこの一曲」として「エレクトラ」「影の無い女」について書かせていただいたが、どちらにも1928年ベルリン生まれのメゾ・ソプラノ、クリスタ・ルートヴィヒが登場した。高校生くらいまで管弦楽曲ばかり聞いていた私が歌曲、さらにオペラに目を広げたのは彼女のおかげ、つまり彼女のおかげで私はクラシック音楽の深みにはまったようなものだ。 昔のことで記憶がはっきりしないが、ルートヴィヒを知ったのはおそらく古いレコード芸術か何かでシュヴァツコップとルートヴィヒによる「ローエングリン」のエルザとオルトルートの二重唱が素晴らしいと読んだことだったろう。それには「(あの!)シュヴァルツコップはルートヴィヒに擁かれているようだ」とか書かれていた。 「ローエングリン」は無理だったが当時私はマーラーの交響曲を聞き始めていて、世評では「大地の歌」はワルター盤とルートヴィヒが歌うクレンペラー盤が双璧とされていた(「大地の歌」の録音ではクレンペラー、バーンスタイン、カラヤンと3人の大指揮者がルートヴィヒを指名した。彼女は当時ダントツNo.1のメゾ・ソプラノだったのだ)。私はクレンペラー盤を購入し、繰り返し聞いた。また、ワーグナー「ニーベルングの指環」に興味を持ち始めてルートヴィヒの「ブリュンヒルデの自己犠牲」が素晴らしいと知り、随分と輸入レコード屋を捜し回ったものだ。 中々彼女の歌を生で聞くチャンスは無かったが(注1)、90年の東京、水戸でのリートリサイタル、93年のバイエルン国立歌劇場での引退公演「エレクトラ」、94年の東京での引退リサイタルと私は4度ルートヴィヒの実演を聞いた。これまでのところ追っかけ的なことをした(させられた)のはルートヴィヒくらいのものである。水戸では初めて楽屋に入りサインをいただいた。「大地の歌」「ブリュンヒルデの自己犠牲」を生で聞けなかったのは年齢的に望んでも得られなかったことで、私は彼女に本当に感謝している。既に80歳を越えられているが、ご存命中に住所を調べ心を込めてファン・レターをお送りしようと思ったものである。 さて「大地の歌」は別れが主題であり、感情的に激しく悲痛な演奏もあってそれらがいいともされている。私の「大地の歌」の実演経験はピアノ伴奏版を含めて4回でしかないが、いくら生であってもルートヴィヒ/クレンペラー盤に勝るものはないと感じている。その大きな理由はこの演奏にある明るさだろうと思う。クレンペラーの指揮は悠然としていて、自信を持って人生を肯定しているかのように私には聞こえる。ルートヴィヒ、ヴンダーリヒ(テノール)がともに飛び切りの美声であって悲痛さはあまり無いが、一期一会のような緊張感は素晴らしい。私も「大地の歌」を人生に対する肯定として受け止めたい。 実はもう一つこの演奏/録音が好きな大きな理由がある。今まで、主に国内プレス、英国プレスのLP(国内盤ではルートヴィヒの声が一部で歪むのだが英国盤では解消された)、英国プレスのCDなどで聞いてきて、その間再生装置、部屋は何度も変わった。しかしこの演奏はいつも最上の音と音楽を私に与えてくれた。だからオーディオ機器を試聴する時には必ず使ったものだ。 「マーラーの作品から一曲」というならどうしても交響曲第9番を採らざるを得ないが、「大地の歌」には色々な思いがある。私にとって非常に大切な一曲、一枚であることは間違いない。 (実行委員 M. K.) 注1) 最初の自費の海外旅行としては89年のゴールデンウィークにニューヨークに行き、 METでワーグナー「ニーベルングの指環」を見た。行ってからわかったことだが、その前のチクルスではフリッカ、ヴァルトラウテをルートヴィヒが歌い、私の回はヘルガ・デルネシュだった。しかしゴールデンウィークの前に1週間の休みを取ることは宮仕えの身にはありえないことで、「ルートヴィヒを今回聞くことは元々無理だった」と自分に言い聞かせるしかなかった。 つくばコンサートHP http://www.tins.ne.jp/~tsukuba-concert/ ※つくばコンサート実行委員会は、本ブログページの広告とは無関係であり、内容について責任を持ちません。 2011年 11月 18日
R.シュトラウス 楽劇「影の無い女」
![]() 「影の無い女」を知ったきっかけは今考えればかなり無謀だった。1984年にハンブルグ国立歌劇場が来日して日本初演をやったのだが、この時のキャストがべらぼうだったのだ。レオニー・リザネック、ヘルガ・デルネシュ、ギネス・ジョーンズとレコードで名前を知っているブリュンヒルデ、ジークリンデを歌う大歌手が勢揃いしたのである(男性歌手は記憶にない)。この時私は既にワグネリアンになりかけていたが、これら3人の女声に惹かれていっしょに持ってきた「ロ-エングリン」に御免なさいをしてこちらのチケットを買ってしまった。実はR.シュトラウスのオペラを生で聴くのはこれが初めてで、さらに言えばまだ私はLP時代にいて、どれだけ録音を聞いていたかも疑問だったが。 その後の積み重ねで私は今「影の無い女」がR.シュトラウスの最大規模の作品で、初演したウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場がそれぞれ戦後再開場時に上演した記念碑的な作品であることを知っている。多くのCD、映像ソフト、7回の生上演体験(R.シュトラウスで最多)で音楽、ストーリーは頭に入っている。しかし、84年には歌手聞きたさで正に白紙の状態で上野の文化会館に向かったのだった。 ありがたいことに会場では歌詞対訳が配られたが、いくら一所懸命読んでもホフマンスタール入魂の台本がそこでのたった10分、20分で理解できるわけも無かった。物語がモーツァルトの「魔笛」を範とし、東洋を舞台として夫婦愛の尊さを描いたものであることは後で知った。 さて物語はさっぱりわからなかったが、R. シュトラウスが技術をつくした大管弦楽の素晴らしい音楽、3人の女性歌手のすごさはわかった。ジークリンデを得意とし「影の無い女」の皇后を当たり役とするリザネックの激しさと名演技、カラヤンのお気に入りであったデルネシュのきっちりとした歌いぶり、そして遠吠えのようなヴィブラートは気になったもののジョーンズの圧倒的な声の力。あの時はヴェルディ1本、ワーグナー3本を見ただけで、私は生オペラ経験2年の駆け出しだった。その私がオペラの魔力に最初につかまったのはこの公演によってだったかもしれない。 その8年後の92年にはサヴァリッシュがバイエルン国立歌劇場をしたがえ、猿之助演出で万全の体制で「影の無い女」を持ってきた。この時は既に日本盤のCDが出ていたので、聞き込んで対訳も読んで十分に予習をして望むことができた。幕が開くと歌舞伎を取り入れた演出が見所満載で、3幕で皇后に影ができて伸びるシーンをはじめとして見事だった。演技も決まっていて日本公演がプレミエだったことは本当に幸運だった。歌手は概ね皆よかったが、マリアーナ・リポブシェクによる乳母は東洋的な衣装と演技が実にマッチし、甲斐甲斐しく働いた後追放されるところは可憐にさえ見えた(彼女はこの3ヶ月前に下のザルツブルグ音楽祭にも乳母役で出演し、演出の違いでそれは悪魔的に見えた)。ジャニス・マーティンは力強い声で大役バラクの妻を歌い通した。これは今でも一番好きな演奏、演出の一つである(座席が一階サイドのオケピット前だったので「サヴァリッシュより舞台に近いね」と言いながら見た)。 「影の無い女」の映像付ソースは他にはショルティ/ウィーン・フィルらによるザルツブルグ音楽祭公演しか出ていないと思う。このゲッツ・フリードリヒ演出をけなす人もいるが、これも私は好きである。特に3幕で染物師バラクとその妻が再会する場面である。前の幕まで主人公の皇后はバラクの妻から影を奪うために夫婦にひどい仕打ちをしていた。バラクとその妻はお互いを求めながらも会えないでいるのだが、やがて舞台の両端に来る。すると皇后は二人の間に自ら布を敷いて道を作ってやるのである。フリードリヒはここで皇后のバラク夫婦への謝罪と感謝を鮮やかに表現し、私はホロリと来た。その後では皇帝、皇后、バラク、その妻が手をつないで輪をつくり、お互いに頭を下げるシーンがある。身分の差を越えてお互いへの感謝、敬意を表したもので、これまた見事だった。 これに比べれば最近のオペラ演出にある豪華な舞台装置とか斬新な読み替えのアイデアとかは、私には話題性、集客を考えただけに思える。 歌手が揃わないといけないので「影の無い女」は録音も多くはなく、昔はベーム/ウィーン・フィルの55年録音か、カイルベルト/バイエルン国立歌劇場の63年ライブ録音しかなかった。どちらも再開場にちなんで録音された。CD時代になってサヴァリッシュ盤、ショルティ盤、ベーム新盤(ライブ)、カラヤン盤(ライブ)、シノーポリ盤(ライブ)が正規盤で出た。ベーム新盤ではバラクの妻役のせっかくのニルソンの子音の発音が聞こえず、吠えてばかりいるのが惜しい。カラヤン盤(ライブ)、ベームの海賊盤にはクリスタ・ルートヴィヒが出ているがカットや録音の条件が悪い。ショルティはバラクの妻役に恵まれていて映像版のマルトン、CD版のベーレンスのどちらもよく、完全全曲版である。理性的には、ベームの55年盤はカットが少なめで演奏、音も十分によく、完全全曲盤のサヴァリッシュ盤とともに比較的バランスがいいような気がする。ところがカイルベルト/バイエルン国立歌劇場盤は女声全員にビョーナー、メードル、ボルグとブリュンヒルデを歌える歌手を並べて壮観、普通はやや弱い皇后もビョーナーが素晴らしい。さらに男声がトーマス、F=ディースカウ、ホッターで、これ以上はないという強力キャストである。カットが異様に多いのがどうにもつらいが、ドイツ・オペラにおける最高の声の饗宴が聞け、カイルベルトが振るオーケストラも素晴らしい(ジャケットがいいので写真には中古で入手したLPも含めたが、聞くのはCDである)。 さて作品「影の無い女」だが、R.シュトラウスは「感じるよりは頭で考えて作曲している部分があります」と書いたそうだ。最後のフィナーレは壮大だが、かなり強引でしつこく、ここらが頭で書いているところかなと推測している。しかし、その後の作品と異なってほとんどの部分の「影の無い女」においては音楽に感情、ドラマが溢れ出していて引き込まれる。ホフマンスタール作の台本について改めて全体を乱暴に言えば、これは新しい夫婦と少し年数が経った二組の夫婦が危機と試練を乗り越えて和解する話だ。繊細な彼はそれを寓話的な舞台に乗せ、真実のドラマとして描いてくれた。それを大管弦楽に乗せてドラマティックな歌唱で訴えられるというこたえられない世界が私にとっての「影の無い女」だ。 R.シュトラウスに縁が深いミュンヘンのバイエルン国立歌劇場、ウィーン国立歌劇場、ドレスデン国立歌劇場においては彼の作品の上演に対し非常にこだわりを持っている。私は運良くこれら三歌劇場の「影の無い女」を観たが、シノーポリ指揮のせいかドレスデンがやや残念だった以外は素晴らしかった(シノーポリは生ではオペラしか聞いていないが皆?だった)。R.シュトラウスのオペラは皆女声上位だが、ウィーンではバラク役のファルク・シュトラックマンが妻役のデボラ・ポラスキーを相手に一歩も引かなかったことが印象に残っている。 先にドレスデンでの「エレクトラ」を事情により止む無く見逃したと書いた。実はその時はベルリン・ドイツ・オペラとバイエルン国立歌劇場の両方での「影の無い女」も旅程に入っていて、妻といっしょに行く予定だった。その妻はホフマンスタールの小説版(オペラ台本では語りきれずこれを書いたらしい)を読むほどに「影の無い女」に入れ込んでいて、一人で出かけもっと「影の無い女」が好きになって帰ってきた。ミュンヘンでの猿之助演出、オーケストラの表情に感激したそうである。 「影の無い女」は上演回数が少ないようだが、幸い私はハンブルグ国立歌劇場による日本初演、バイエルン国立歌劇場による猿之助演出のプレミエ上演を見ている。他のオペラでは皆勤賞は難しいが「影の無い女」ならできるということで、去年の新国立劇場、今年のマリィンスキー劇場公演と続けている。今後も妻とともに「影の無い女」の日本公演だけは必ず見ようと思っている。 (実行委員 M. K.) 補足) 若杉弘さん指揮のR.シュトラウスのオペラは歌舞伎様式演出の「サロメ」、演奏会形式の「ナクソス島のアリアドネ(町人貴族版)」「エレクトラ」と聞いた。新国立劇場の「影の無い女」公演では彼が指揮するはずで期待していたが、果たせず亡くなられた。本当に残念なことであった。私は彼の指揮で聞いたおかげでドイツ・オペラにはまった面もあって(他に「ニーベルングの指環」から3作)、ここで心から感謝しておきたい。また、「若杉さんが常任指揮者の後ドレスデン国立歌劇場の音楽監督になっていたら、さらにはオペラでの実力において彼こそがウィーン国立歌劇場の音楽監督にふさわしかった」と思っている。 つくばコンサートHP http://www.tins.ne.jp/~tsukuba-concert/ ※つくばコンサート実行委員会は、本ブログページの広告とは無関係であり、内容について責任を持ちません。
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